後遺症との闘い
まず術後最初に気付いたのは、声が出ない・・・って事だった。
正確には出し方がわからない感覚。これは多分経験しないとわからないと思う。

手術翌日の診察時、鼻からスコープを入れ、「エー」と言うよう言われ、声帯の動きを確認して
「動かない」と言われる。
手術を受けると決めた時、何より怖かったのはこの声の後遺症だった。
万が一のとき、乗り越えていけるか自信がないと思ってた。例えば声は出るけど変わったっていう
レベルならまだ良いと思ってた。けど、こんな全く出ないとか出せない・・・こんな事があるとは思わなかった。
実際には全く出ない訳じゃない。コソコソ話程度なら出るけれど、出せない音がどうしてもある。
それに息が続かないから、長くは話せないしすぐに苦しくなる。咳をするのも簡単じゃない。

手術後心配してくれた友達やらにメールで報告した時、「声は徐々に戻ってくるよ」とか
「焦らず」とか「大丈夫」とか、そう言われる事にかなりカチンときた。何を根拠にそう言えるのか
不思議で仕方がなかった。もし逆の立場でそう言われて納得できる人が、慰められる人がいるのか?って
思った。実際に徐々に出るようになればそれで良いと思っていても、現実にはわからない。
医者でさえ出るようになるとは言ってはくれない。すぐに割り切れる問題ではなかった。
誰も悪いわけじゃない。ただもう誰ともメールする気もなくなった。

毎日毎日、鼻からスコープを入れ声帯のチェックで朝が始まった。
10日経っても2週間経っても、何も変わらないまま・・・医者でさえ弱気な発言が多くて、
きっとだの、多分だの曖昧な事ばかり聞き飽きた。
親も「声出してみ」って言う・・・出るような気がするんだと思う。私でも時々出るんじゃないか・・・
って思って出してみて、出ないと知ってまた落ち込む・・・。
何度泣いたかわからない。
そんな時、主治医だけが面白い言い回しで笑わせてくれた・・・。

電話さえ出来ない。タクシーで行き先さえ伝わらない。これからの生活・仕事全てが不安で仕方がない。
だけど向き合って行くしかない。出来ることをやるしかない・・・だから続けていくけれど・・・
やっぱり、なにひとつ当たり前だと思う事はない。
体が健康になっても、傷がわからなくなっても、もしも声がこのままなら、手術した事を悔やむかもしれない。
今はこの先の事さえ何もわからないし、想像も出来ない。
ただほんの少し慣れと、諦めで、今は仕方ないと言い聞かせてる。
だから誰にもそのうち・・・とか、もう少し・・・とか簡単に言われたくない。


この反回神経麻痺は声だけじゃない・・・水分もまだ普通に取れない。
最近ようやくコップ1杯の牛乳とかストローで20分〜30分くらいかけて飲めるようになった。
ジュースとか、柑橘系は咽るのでまだ飲めない。
今、低カルシウム血症でかなりの薬を飲まないといけない私にとって、これもかなりの苦痛なのだ。
錠剤はいいとしても・・・何が辛いって粉薬。一時は1日18包っていうあほな量を処方されたけど
今は12包に減った・・・とは言うものの、普通に飲めるはずもなく、オブラートに包んで、
喉の奥で湿らせて飲み込む・・・こんな方法ありえない・・・って感じで飲んでる。
声も大事ではあるけど、現実問題として、今はこの水分の方が大事な気がするし、
せめて普通に飲ませてくれぇ・・・って毎日思う。これもまた飲めるような気になってやってみたら
死ぬかと思うほど何度も咽た。せっかく飲んだ牛乳を吐いた時もある。あほな自分。


普通っていう事がいかに幸せな事だろうと、本当に思い知らされる。
同じように手術した人が、術後3日で普通に声も出る、水分も取れるのを見た時・・・運って本当に
あるんだな・・・って思った自分が悔しかった。
執刀した医者の腕ひとつでここまで違うなんてありえない・・・って思った。
神様は、持てない荷物は背負わせない・・・って言うけど、次から次からいい加減持てないんですけど・・・
と愚痴ってしまう。

まだ始まったばかりだけど・・・いつまで闘えばいいんだろう・・・。
頑張る・・・だけど時々やっぱり悲しくなる。

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12月19日、手術から2ヶ月近くが経った診察日。両側反回神経麻痺だった私の声帯の右側が
何とか動き始めて、片側反回神経麻痺に名前が変わった。
スコープにも慣れ、初めて自分の声帯と対面した。
正直気持ち悪かったけど、片方が動き始めた事は、本当に嬉しい事でようやく
少し声も出るようになってきたと自覚までできるようになった。まだ息継ぎなどが難しく元通りまでは
どれだけの時間がかかるかわからないけれど、これからも頑張って行こうと思えた出来事でした。




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