2006年7月生活保護
いろいろな事やいろんな思いがあったけど、保護を受け治療を再開できる事になった。
とても嬉しく思う。

受けるまでに至ったのは、「治療再開前」にも書いてますが、
まず仕事が見つからなかった事、外見(甲状腺の大きさ)に問題があって
面接に行っても断られた事、仕事をクビになった事などが重なったのが最初のきっかけです。
親も病気を抱えているので、頼るわけにもいかず、区役所へ行き相談した結果
生活保護を申し込んでみたら・・・という結論に至った。
この不景気な世の中で、そんな簡単に受けれるとも思わなかったけど、止まっていてもどうしようもないほど
追い詰められてたのは事実だった。
審査期間は1ヶ月だった。診断書を取るために病院へ行き、検査した結果
医者からは
「この状態で仕事はできない。・・・すぐにでも入院した方がいい」と言われた。
そんな大変な状態なの?と、自分でも驚いた。

私にとって、『生活保護』を受けるのは平気な事でも安易な結論でもなかった。
簡単に甘えているのではないか・・・と思ったり、本当に働けないだろうか?
水商売なら出来るんじゃないか・・・とイロイロな気持ちが交差した。
審査の結果が出るまでの生活も不安で、何度も面接に行った。

だけど、私はずっとそうだった。
きっとまた働き始めたら、また病院へ行かなくなる・・・どんなにしんどくても我慢するし見過ごそうとする。
そうして今日まで来たんだ。
色々なことが重なって、周りの環境やタイミング、全てが病気を治す方向に向き始めた今、
治すチャンスかもしれない・・・って思ったんだ。
甘えてもいいんじゃないか・・・ちょっとくらい休んでもいいんじゃないか・・・と。

保護がおりた瞬間、周りからはいいなぁ〜とか、楽して、とか言われる事が増えた。
私がこんなに一生懸命働いても、保護費と同じだなんて・・・と、一緒に動いてくれた友達までも
口にするようになった。想像してなかった。
気にしてない振りはできるけど、心の中は平静ではいられなかった。
仕方ない・・・と思う反面、友達に会う回数は確実に減った。

保護を受けようと動き出すまで、自分の周りに不正に受給してもらい生活してる友達がいる事に
何か思った事はなかった。
受けたいと望んで動き始め、初めてそんな事してる友達に対して、不信感を持った。
健康で仕事もあるのに、なぜ?って。

私は何を言われてもめげないと決めた。
健康になった時、次の人にバトンを渡せる自分でありたいと思う。
私以上に病気で苦しんでいるのに、病院へ通えない人は一杯いると思うから、
治療を開始できた喜びを、その人達にも感じてほしいし、その為に早く元気になりたい。

ずっと頑張ってきたから、今は少し休んで、健康になる事だけに専念したい。




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