治療再開前
あれから何度かネットで調べたりはしていたが、今すぐ治療・・・という頭は私にはやっぱりなかった。

理由は、病院が嫌、医者が嫌い、日常生活に支障もない。お金がない。
働いても病気に使うお金がない・・・と言う意味。惜しいのだ。
病院へ行っても、きっと昔と同じで薬を飲まされる。
あれから時間も経ってるし、検査もいっぱいしなくちゃいけない・・・=もったいない。
月に70万稼いでもそう思ってた。
遊ぶためには惜しまず使った。趣味はゴルフとダイビングに海外旅行。
必ず年に1回1ヶ月間、海外に行っていた。自分へのご褒美。多い時は3回だった。
貯金なんてなくていい、楽しかったらそれでいい・・・そんな感じ。

そんな私が33歳の時、自分で店を持った。
だけど結局うまくいかなかった。
店を閉めたのをきっかけに水商売を辞めて、昼の仕事をはじめた34歳。
今までとは全く違う、地味な生活。もう海外なんてしばらく行けない。
これからは貯金だ・・・とお金を貯めても、計画性がないので、仕事を辞めて、次の仕事が見つかるまで
プーなので、貯めてた貯金は底をつく・・・の繰り返し。
この頃には病院へ行きたくても、本当の意味でお金がない・・・。

そして、36歳の春、私はなぜだか急に、また甲状腺の事を調べ始めた。
この時、ネットで見つけたある人に興味を持った。
彼女は自分が病気になってから、手術を受けた後までの過程をHPに書いていた。
今は甲状腺機能低下症になり、治療を続けている・・・と言うところでHPは終わっていた。
最後の日付からずいぶん時間が経っているので、今どうしているのだろう・・・と気になった。
そこまで思ったのは、彼女があまりに前向きに思えた事と、たまたま同じ京都に住んでいると言う事で。

これまでネットアイドルなんかもやっていた私だけれど、自分から知らない人にメールをした事なんか
なかったし、そういう顔の見えないやり取りに不安もあった。
だけど、3日考えて、とうとう彼女にメールを送った。

書いたその日に返事が来た。
思ったとおりの感じの人だった。今は治り、結婚し子供も3人産んだと。
主婦であり、母であり、OLの彼女と、その後何度かメールし、話を聞いているうちに
私も手術を受けたいと望むようになった。

だけど私にとってそれは今すぐ・・・って事ではなく、いずれ・・・だったのだ。


6月、私は友達の紹介で沖縄に仕事に行った。
だけど、着いたその日に首の腫れを指摘され、正直に病気の事を言った私に
オーナーは首を言い渡した。あっさりと。

病気になってから今まで、病気だからと仕事に影響を及ぼした事は一度もなかった。
入社する時に説明した事も、説明を求められた事もなかったし、まして、
病気だから・・・と仕事を首になった事もなかった。

この出来事は、かなりのショックだった。
とんぼ返りに帰ってきた私に友達が言った。
「確かに最近大きいと思う・・・」と。
それでも働かなければ・・・と、久しぶりにリクルートすれば、何で?みんな気付くんだね。
面接したほとんどの人が、首の腫れについて聞いてくる。
それ以上に、夏が近いこの季節・・・みんなまだ長袖でも、私は袖もない服を着て汗だく。
おかしいと思われて当然。
それでも喉元を隠して、いくつか仕事に行ったけれど、自分が思う以上に、
体がついてこない事にあらためて気付いた。

この出来事をきっかけに、私はもう目をつぶってはいけない、知らない振りを続けるのはもう
無理なんだと思った。そして病院へ行きたいと思うようになった。

母親は膠原病。
父親はくも膜下の時の輸血が原因でC肝→肝硬変→肝臓癌→肝硬変。
どこにも頼れない。
区役所に行き、相談した。
医療制度と生活保護。
お金もない、仕事もない、健康もない。
言われるまま6月30日生活保護の申請をした。

症状は、これまでと同じものに加え、甲状腺の大きさは私が思ってた以上に大きくなり、
筋力が落ちてきてた。
今回沖縄に行って気付いたのは、重いものを持ち上げられない・・・と言う事。
それと、これも甲状腺に関係あったんだけど、私は和式のトイレでしゃがむと、
何かにつかまらないと立ち上がれないのだ。
これはこの5年間くらい思ってた事だけど、私はいつものように運動不足で筋力が落ちたのだと
思っていたのだ。

このHPの為に自分の甲状腺の写真を撮った。
前だけしか見ていなかったけれど、横から撮って驚いた。
その写真載せていますので、よろしければご覧下さい。




inserted by FC2 system